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虎鉄語:昨日の終りと今日の始まり


 多分皆さんお忘れかと思いますが。
 長らく続いてまいりました鳳凰堂・虎鉄の過去編も今回で最終回です。
 今更ですが、これは鳳凰堂・虎鉄の誕生と死についてのお話です。
 あのおちゃらけがどのように死に、生まれたのか。
 それだけのお話です。

 では、ダラダラと長くなってしまいましたが。
 鳳凰堂虎鉄の過去語り、最終幕

 はじまりはじまり~


虎鉄語:誰も知らない話

虎鉄語:幕間、そして二度目と初めての終り

虎鉄語:彼女の事情

虎鉄語:再誕と死、そして


 赤く染まる木々の枝葉に切り取られた空は、酷く澄んだ青色だった。
 頭上を覆う赤と青。背反のコントラスト。
 およそ正反対のベクトルによって彩られた世界。
 天は高く、肥える馬になど心当たりも無い事を除けば、文句のつけようも無い秋の空。
 けれど深く吸い込んだ朝の空気は冷たく、微かに冬の香を嗅ぎ取らせる。
 秋の終わりがすぐそこまで来ていた。
 結社『絶技クラブ』の道場。
 その裏にあるボロいベンチから見上げた空は、いつか見た空と同じくらい遠く、遠い。
 軽く瞼を閉じて、瞬く季節の亡骸を思う。
 秋の終りと、冬の訪れ。
 終りと始まり。死と誕生。
「そういえば……そろそろ6年になるのか」 
 今にも折れてしまいそうな背もたれに体を預け、少年は目を閉じた。
 思えば、この場所に来てから、ずいぶんと色々な事があった。
 宝石のような日々の数々。
 大切にしまいこんでいた記憶の蓋を開けていく。
 誰かの笑顔と誰かの笑顔と、誰かの笑顔が零れ出た。 
 いつか誰かと、死なない事を約束した。
 いつか誰かに、辛いのならば助けを求めろと言われた。
 いつか誰かが、こんな自分でもいいと想ってくれた。
 いつしか、誰かを愛する事ができた。
 家族と呼べる人達がいる。
 心から笑える時間がある。
 ここにいたいと、そう思う。
『私』が、思う。
「……けど、そんなのは許されない」

――笑わなくてはならない。笑わなくてはならない。笑わなくてはならない。
 
 鳳凰堂・虎鉄は、笑っていなければならない。
 鳳凰堂・虎鉄は、生きていなくてはならない。
 心臓が鼓動を刻む。
 私はまだ生きている。
――ああ、けれど。
 私は、笑っていたくなんてない。
 私は、生きていたくなんてない。
 鼓動が心臓を切り刻む。
 仮面はとっくにボロボロで。
 それなのに、私はまだ、生きている。
 この心臓は、ずっと嘘を吐き続けている。
 なんておぞましい。
 軋む胸を握り締めると、黄昏色の憎悪が溢れた。

「誰か……」

 長身を折るようにして、少年は痛みに耐える。
 壊れる自分を恐れるように。
 もうとっくに壊れてしまっている自分には、気付いていないフリをして。

「助けて………」

 泣き出す前の子供のように。
 鳳凰堂・虎鉄はひとりだった。 


 prologue4 / The boy's birth and boy's twilight


 秋の赤色に染まった木々の向こうから風を切る音が木霊した。
 地に落ちた枯葉を舞い上がらせながら、二人の人間がそこにいた。
 一人は痩せっぽっちな長身の少年。
 年の頃は十を越えたばかりと言ったところだろうか。
 その手が振るうは一振りの木刀。
 一人は背の高い屈強な体格の男。
 年の頃は三十路も半ばと言ったところだろうか。
 その手に提げるは一振りの刀。
 どうやら二人は、剣の稽古をしているようだった。
 組手と呼ばれる一対一の試合を行っているようだった。
 だが、それはいかなる剣術か。
 剣道では無いだろう。
 一切声を発さずに戦う剣道などはないし、何よりも剣道であるならば拳や脚を剣撃に織り交ぜる事は反則だ。二人は明らかに『道』という概念からはかけ離れた、もっと実戦的な何かを行っていた。
 いや、正確には、それは戦いと呼べるものではなかっただろう。
 それほどに、二人の実力には差がありすぎた。
 果敢に木刀を振るう少年の表情は真剣そのものである。その足運びにも呼気と共に走る切っ先にも余裕の色は無い。一撃一撃に満身の力を込め、自身の持てる最高の技を繰り出そうとしているのが傍目にも窺えるほどだ。
 対して、男の表情は余裕以外の何物でもない。片手に提げた刀は鞘に収めたまま抜き放たれてすらおらず、どころか柄に手をかける事すらしていない。無造作に鞘を掴む男には、そもそも抜く気すらないのだろう。
 だが、それも仕方ない事と言えた。一瞬の停滞もなく放たれる少年の連撃は、しかし先程から一つとして男に触れる事さえ叶わずに空を切っているのだから。
 流れるように空間を駆け抜ける木製の刀は、刃が無いとは言え人を殺傷するに十分な威力を秘めた凶器である。然るべき速度と膂力をもってすれば容易く肉を潰し骨を砕く事だろう。そして、間断なく木刀を振るう少年の動作は人間を撲殺するに足る技量を備えている事を如実に窺わせた。
 にも拘らず、男はうっすらと笑みすら浮かべたまま少年の攻撃を捌いていく。
 否、捌いてさえいない。
 獣の牙を備えた蛇の如き不可解な軌道で襲い来る殴殺の剣は、男の羽織る土色のコートを掠める事さえできず、紙一重の距離を薙ぐに留まる。斬撃を囮として軸足を刈りにいった少年の蹴りは、まるで最初から判っていたかのように持ち上げられた男の足の下をくぐった。幾重ものフェイントを織り交ぜた上で放った死角からの突きは、無造作に括られた男の髪にすら触れる事無く躱された。
 どれ一つ当らない。
 何をやっても通じない。
 少年の焦燥を見て取ったのか、男の笑みが僅かに深くなる。
 それを、少年は見逃さなかった。
 一際大きく踏み込むと共に、男の顔を打ち砕かんと振るわれる木刀。
 明らかな愚策である。
 幾ら少年が同年代に比べて長身であろうと、男との身長差を考えればそんな攻撃が当る訳が無い。
 ヤケとしか思えない少年の一手に、男が呆れたような息を吐く。
 瞬間。
 その視界を、紅が覆った。
 この戦いにおいて初めて、男の目が驚きに見開かれる。
 それはいかなる脚力による業か。
 最前、男の懐へと踏み込んだ少年は、踏み足の足首から下だけの力によって地に積もった枯葉を蹴り上げていたのである。無謀としか思えなかった空振りは男の視線を足元から離すための布石だったのだ。
 そして、舞い上がった枯葉はほんの一瞬、男の視界から少年の姿を隠す。
 決定的なチャンス。
 少年の体が螺旋を描く。最短距離を最速で。
 翻った木刀の一撃が鮮紅の隠れ蓑を切り裂いて、男の胴体を打ち据えた――かに、思えた。

「ま、こんなもんか」

 舞い散る紅葉が停止する。
 時間が限りなく引き伸ばされる。
 コマ送りになった世界の果てで。

 少年は、風よりも速く宙(ソラ)を裂く、鉄(くろがね)の牙を見た。


  ●  ●  ●
 

「まぁ、なんだな」
 ガリガリと後頭部を掻きながら、男はそう切り出した。 
「目晦ましのタイミングは悪くねぇ。その前の布石も、ま、多少ワザとらしかったが悪くはなかった………だが、その後が良くなかったな」
 僅かな嘲笑を含んだ声音で男は言う。
 どうやらそれは反省会のようなものであるらしかった。
 なんとなく思いついた事を適当に並べていくような口調で、男は先程の手合わせを評価していく。鞘に収めたままの刀は相変わらず男の左手に提げられていたが、両者の間に流れる空気は最前までとは違い弛緩したものだった。もっとも、先の戦いにおいても緊張していたのは少年だけであったのだが、それは置いておく事にしよう。
「てめぇはどうにも勝負を急ぐ癖がある。自覚してるかどうかは知らねぇが、それさえ判ってりゃ手の内は読める。あそこから致命を狙うにゃ胴体叩くしかねぇからな。幾ら死角から仕掛けたところで来ると判ってりゃ躱せん事はねぇし、合わせようと思えばなんとでもなるさ。教えた筈だろ。常に相手の裏をかけ、ってな。てめぇの手の内読まれてる事くらい、いい加減判ってんだろうが。だったらそれを利用して脚を狙っておくべきだったんだよ。太腿の一つも軽く引っ掻いてやりゃあ、それで十分………って、おいコラ小僧。てめぇ聞いてんのか?」
 好き勝手に喋りまくっていた男は、ここでようやく自分が語りかけている相手の反応が無い事に気が付いた。見れば、その相手であるところの少年は男から少し離れた地面に大の字になって転がっていた。転がったまま、起き上がる事も動く事もなく、そこに倒れていた。
 先の試合の最後、男の放った一撃を受けて木っ端のように吹き飛ばされたきり、少年はぴくりとも動いていないのだった。
 それはもう、ぴくりとも動いていないのだった。
「おい?」
 無造作な足取りで近付き、男は倒れ伏す少年を覗き込んだ。
「……あれ? 死んでねぇかこれ?」
「生きてます」 
 地獄の底から響いてくるかのような声で少年は答えた。
 だが、それだけだ。
 相変わらず起き上がってくる様子もなければ、それどころか指先一本動かす事すらない。
 それもそのはず、少年の体は先の一撃を受けたショックで完全に麻痺してしまっているのだった。
「ふぅん。まぁ、生きてるならいいか」 
 そしてその一撃を叩き込んだ張本人はと言えば、瀕死のていの少年を心配する素振りなど欠片もなく、提げていた刀を肩に担ぎ直しただけだった。それこそ、少年が身動きできないほどに打ちのめされているこんな状況など、気にする必要もないほどにいつもの事である、とでも言わんばかりの無関心さであった。まぁ、まさにその通りなので仕方ないと言えば仕方ない事ではあるのだが。
「とりあえず、だ。何をされたかは見えたか?」
 随分と高い場所から落ちてきた問いかけに、少年は微かに頷く事で答えた。
 と言うより、声を出す事さえかなわないという様子であった。
「好し、ならあとはいつも通りだ。夕方の手合わせまでに防ぎ方か返し方を考えておきな」
 そして、やっぱりそんな少年を助け起こしてやるような気もないのか。
 言いたい事だけ言い終えると、男は少年を置いてさっさと踵を返してしまうのだった。
 重い足音が遠ざかる。
 気配は――普段から男の気配など掴めた事は一度もなかったのだが――やはりない。
 どうやら男は本当に行ってしまったらしい。
 それだけを寝転んだまま確認して、少年は一つ息をはいた。
 別に男の振る舞いに落胆した訳ではない。あまりにも圧倒的な敗北に消沈した訳でもない。それはただ単に、調息の息吹でしかなかった。男の態度も、敗北も、少年にとっては本当に当たり前の事でしかない。少年は彼がそういう人格なのだという事を知っていたし、自分が彼に敵うはずが無い事も十分理解していた。
 だから、当たり前の事にいちいち心を動かされる事もなく。
 少年は、空を見上げたまま考える。
――男に言われたままに、考える。
 先の一戦。
 自分の体を貫いた一閃。
 あれは、なんだったのだろう。
「たぶん、突き、だよね」
 叩き込まれた衝撃は全身を駆け巡り、体の制御権をあらかた奪っていった。
 だが、それも少しずつ薄れ、傷みの中心とでも言うべき点が段々と判ってきた。いまだ上手く動かない手で探ってみれば、それは自分の胸。心臓の真上にあった。ズキズキと内側へと篭る痛みは、明らかに何か硬い物で殴打された時のそれである。おそらくは柄頭で打たれた――手加減されていた事を考えれば、本来は切っ先が潜り込んでいたのだろう――場所に触れながら、考える。
 少年の思考を埋めるのは、ただ先の手合わせで男が見せた技の事だけ。
 眼前を埋める高い空になど目もくれず。
 たった一人で、少年は考える。
 打ち倒されて、置いていかれて、考えて。
 そうして夕方になれば、また男に打ち倒されるのだろう。

――それが、生まれてから12年目の、少年にとって当たり前の日常だった。


  ●  ●  ●


 数年前の雪の夜、少年は男に拾われた。

 赤子同然だった少年を男はこの山奥の小屋へと連れ帰り、そうして、二人の生活は始まった。
 男は少年に色々な物を与えた。
 言葉を与えた。人間としての体の動かし方を与えた。生き残る術を与えた。
 少年が持っている全てのものは、男から与えられたものだった。
 男がいたから、少年は生きていられた。
 かと言って、男が優しかったかといえば、まったくそんな事は無かった。
 少年が牙を剥けば「てめぇは狗か」と容赦なく蹴り飛ばしたし、蹴り飛ばされた少年が泣き出せば「やかましい」と殴り飛ばした。殺意を向ければ「半端すぎる」と嗤いながら投げ飛ばされたし、逃げ出せばふんじばられた上で連れ戻された。
 そうして、幾つもの生傷とお粗末な人間性を少年が手に入れた頃。
 男は少年に一振りの剣を与えた。
 そこらの木の枝から適当に削りだしたような、木刀とも呼べない棒っきれ。
 それが、少年が初めて手にした剣だった。
 これはなに、と問うた少年に、暇潰し、と男は答えた。

――退屈しのぎに、人の殺し方を教えてやるよ。

 悪戯に笑いながら男は少年の頭を撫でた。
 男が少年を撫でたのは、それが初めてだった。
 少年と男が出会ってから、ちょうど一年目の事だった。
 それからの月日を、少年はただひたすらに剣を振り続けて過ごしてきた。
 一日だって休む事無く。朝から晩まで変わる事無く。
 日の出と共に起き出して、軽く体をほぐしたら剣を交える。男は一つだけ技を見せる。それはただの足運びの時もあったし、基本的な構えの時もあったし、常軌を逸した斬り返しの時もあった。少年は一日を費やして、その技を考える。何をされたのか。どうされたのか。どうすれば成せるのか。どうすれば防げるのか。ひたすらに考えて、ひたすらに試す。一人きりで剣を振り続ける。そうして夕陽が沈む頃、二人は再び剣を交える。男は同じ技を使う。それを少年が防げれば良し。次の朝には次の技を男は見せる。防げなければ、次の朝にはまた同じ技で叩き伏せられる。
 それが、彼らの日常だった。
 そんな日々を繰り返す内に、少年は男を先生と呼ぶようになった。
 確か何かの本で、『先生』という単語を知ったからだったと思う。
 それとも、男がその呼び方を否定しなかったからだろうか。
 なんにせよ――その日から、男は少年の先生になった。
 そうして月日は巡っていく。
 一番近い麓の町まででも二時間以上かかる山奥での生活。
 娯楽もなければ文明の利器とも無縁の、時代を遡るような生活。
 けれど、少年はそれを不満に思った事など一度もなかった。
 そもそも、それ以外の生活を知らなかったという事もあるけれど。
 きっと少年は、ただその日々が好きだったのだ。
 男から与えられた、その日々が。
 そう、すべてを与えられた。
 少年のすべては、男から与えられたものだった。
 だから、少年はそれでよかったのだ。
 命も、技も、言葉も、言葉以上のものも。
 彼から与えられたすべてが、少年を満たしていたから。
 繰り返されるその日常は、少年にとってあまりにも幸せで。
 無骨な手でグシャグシャと頭を撫でられる喜びも。
 容赦のない一撃に打ち倒される痛みも。
 ただ一心に剣を振るう楽しさも。
 土を噛む悔しさも。
 全部全部、少年の宝物だった。
 そんな日々がいつまでも続くと、少年は当たり前のように信じていたのだった。

――勿論、そんな訳が、あるはずもないのだけれど。


  ●  ●  ●


 それは、本当に唐突な一言から始まった。

「誕生日?」 
「おう、誕生日パーティーをやる」
 もう本格的に冬の訪れが見えてきたある日、男――先生は、本当に突然そんな事を言った。
 それがあんまりにも突然すぎたから、少年は思わずぽっかりと口を開けて男を見つめてしまった。
 二人がいるのは、彼らが寝床として使っている古い山小屋の中である。
 男は一段高くなっている床に胡坐をかき、土間に立つ少年の、ちょうど同じくらいの高さになった顔を覗き込むようにして、軽く眉をしかめた。
「あん? なんだぁその反応。誕生日くらいは知ってんだろうが」
「知ってる……けど、なんで?」
 少年がそう聞き返してしまったのも無理は無いだろう。
 なにせ少年が男に拾われてからの7年間、誕生日を祝うなど一度もした事がなかったのだから。と言うかそれ以前に、少年は男の誕生日どころか自分の誕生日すら知らないのである。いきなり誕生日だの誕生パーティーなどと言われたところで、寝耳に水以外のなにものでもなかった。
 そんな少年のある意味当然の反応に、男は実にあっさりと。
「そういやてめぇの誕生日ってやつを祝った事ねぇな、とさっき思い出したからだ」
 と、身も蓋もない答えを返すのだった。
「でも、僕、自分の誕生日なんて知らないよ?」
「なら今日でいいじゃあねぇか。今から、今日がお前の誕生日な。よし決定」
 実にいい加減な話である。
 だが、男のそんな理不尽さは今に始まった事でない。一々文句を言っていたのではキリがないし、男の思いつきや気分に振り回されるのも少年にとっては既に慣れたものであった。
 だが、それよりも。
「僕の……誕生日………」
 少年は、胸の内で段々と大きくなっていくよく判らない感情に、なんだか飛びあがりたいような気分になっていたのだった。
 誕生日、という言葉の意味は知っていた。
 誕生パーティーというものも、そこでどんな事をするかも本で読んだので知っていた。
 実際にやった事はなかったけれど、本――と言っても主に男が麓の町から適当に買い漁ってきた漫画だったが――の中で『誕生パーティー』をやっているキャラクター達は皆一様に、本当に楽しそうにしていたように思う。
 それを羨んだ事などなかったけれど。
――大好きな先生が、自分の誕生日を祝ってくれる。
 それが、少年には何よりも嬉しかったのだ。
「よし、そうと決まれば買い出しだ」
 そんな少年の内心などお見通しなのだろう。
 男はニヤリ、と笑うと、懐から取り出した財布を丸ごと少年に放り投げた。
「買い物の仕方は教えたな? んじゃあ、それで好きなもん買ってこい。あと食い物だな」
「いいの?」
「あー、構わねぇさ。今までの分をまとめてやるんだ、それぐらいは許してやるよ」
 無精髭を撫でながら、男は笑った。
 或いは、この時少年が本当に飛びあがって喜んでいたりしなければ、男の笑顔がいつもの嘲弄を含んだものではなく、それこそはしゃぎまわる我が子を呆れながらも優しく見守る父親のそれに似た、温かな微笑みだった事に気付いたかも知れない。もっとも、少年はそんな『父親の微笑み』など見た事はなかったのだけれど。
 それでも、所詮それは仮定の話でしかなく。
 少年が再び男へと視線を向けたとき、その顔に浮かんでいるのはいつも通りの嗤笑だった。
 いつも通りの嗤笑でしかなかった。
「あぁ、そうそう」
 唐突に、男はポン、と手を打った。
「言い忘れてたが、てめぇ、少なくとも日が沈むまでは帰ってくんなよ」
「え? どうして?」
 その不可解な条件に、少年はきょとん、と首をかしげた。
 それはそうだろう。
 今はまだ昼を少し過ぎたばかりの時間である。外に出れば日はまだ高く、ようやく中天に架かったかという頃で、もう冬も近いとは言え日が沈みきるまでにはまだまだ時間があった。それこそ、少年の足でも余裕を持って町まで往復できてしまうくらいの時間がある。
 少年が疑問に思うのも当然の事と言えたが、対する男は少年の問いかけに、取って置きの悪戯を明かす子供のような笑みを浮かべた。
「馬ぁ鹿。こっちにも色々用意があるんだよ……プレゼントとか、な?」
 秘密にしとかにゃあ面白くねぇだろう、と。
 まるで誰かに聞かれるのを警戒しているかのように――実際には少年と男以外の誰かがこの場所を訪れた事などなかったのだが――低く抑えられた言葉に、少年は何度も何度も頷いた。
 それを明かしてしまっては秘密でもなんでもないじゃあないか。
 などという事は考えもしなかった。
「なら約束だ。できるか?」
「うん! 約束する!」
 しっぽを振る子犬のように夢中で首肯を繰り返す少年の背中を叩いてやって、男は言った。
「よし、じゃあ行ってこい!」

「――行ってきます!」

 言うが早いか振り返る事もなく小屋を飛び出した少年の背中を、男は静かに見送っていた。
 まるで、もう二度とその背中を見る事がないと知っていたかのように。
 ただ静かに、見送っていた。


 そして、今日(いま)に続く昨日(かこ)に、終りの時間がやってくる。


 少年は途方にくれていた。
 両手にそれこそ自分の顔が隠れてしまうくらいの荷物を抱えて、帰り道を
忘れてしまった子供のように、あっちへ行ったかと思えば帰ってきて、また違うところへ歩き出すというような事を繰り返している。
 彼にとっての家である小屋は、もうすぐ近くにある。
 なのに、少年はそちらへは決して足を向けようとはしなかった。
 やがて少し木々が開けたところまでくると、少年はとうとう立ち止まり、子供らしからぬ溜息をついた。
 どうしよう。 
 口の中で呟いて、視線を上げる。
 日が沈むまで帰ってくるなと言われていたのに、太陽はいまだ沈んでおらず、遠い稜線を赤く染めている。そう、誕生日という生まれて初めてのイベントがあまりに嬉しかった少年は、楽しみに急かされるあまりついつい約束を破ってしまったのだった。
 先生、怒るよね。
 思えば、物心ついてから少年が先生の言いつけを破ったのはこれが初めてだ。なんでこんな大切な日に先生との約束を破っちゃったんだろう。そんな子供らしい後悔が、少年の足を止めているのだった。

 これは余談だが。
 少年はこの日『約束』というものを破ってしまった事を、一生後悔し続けることになる。

「あ、そっか!」
 俯いていた少年は突然嬉しげに顔を上げた。
「夜になるまで帰らなきゃいいんだ!」
 どこかその辺でもう少し時間を潰して日が沈んでから小屋に帰ればいい。先生に見つかりさえしなければ、約束を破った事にも気付かれないんじゃないだろうか。
 実際のところ、少年の嘘を『先生』が見抜けなかったことなど一度も無かったのだが、その考えはとても素晴らしいものに思えた。
 少年は名案に満面の喜色を浮かべ、さっそくどこかに隠れておこうと駆け出そうとして………

「―――?」

 その、においに、気が、ついた。
 気がついて、しまった。
「血のにおい?」
 嗅ぎ覚えのある臭いの正体に少年はすぐ思い当たった。
 だが、それだけならばなんの不思議もない。少年にとって日々の糧として獣を捌くなど慣れた事だったからだ。ましてや今日は自分の誕生日なんだから、きっとごちそうを作るために先生が動物を捌いてるんだろう、と考えるのが当然だった。
 当然のはずだった。
 それなのに。
 気がつけば、少年の体はふらふらと誘われるように、そのにおいへと向けて歩き出していた。
 進む先には小屋がある。
 ボロボロの、見てくれも悪い、少年にとっての大切な『家』がある。
 一歩進むにつれて強くなっていく血臭にも。
 小屋の中から漏れ聞こえてくる聞き覚えのない笑声にも。
 ましてや、痛いほどに早鐘を打つ心臓にも気付かずに。
 少年は、家へと帰った。
 そこには。

「あら、どうしたの坊や?」
「て、めぇ……どうして………」

 全身を朱に染めて小屋の床に倒れ伏す大切な人と。
 両腕を紅に染めて小屋の床に屹立する半裸の女がいた。
 そこから先の一瞬を、少年はよく覚えていない。
 咆哮。
 どこか遠くで獣が吼える。
 視界は赤く。世界は紅く。朱く紅く赤く。
 燃え落ちるような夕焼けに沈む。
 抱えていた荷物が落ちる。
 大切に大切に抱えていたケーキが潰れてしまう。
 足元に刀。
 見覚えのある先生の牙。
 反射的に拾い上げる。体の芯まで叩き込まれた殺戮技能。
 駆動する。稼動する。起動する。行動する。
 殺すために。殺すために。殺すために。殺すために。
 目の前で嗤う見覚えのない生き物を殺すために。
 踏み切る足が空を感じる。
 跳躍。間合いを詰める。離れていては殺せない。
 両手に握り締めたこの鋼を。
 あのパックリと裂けた口の中に叩き込む。
 距離を潰す。間合いを壊す。零へ零へ零へ零へ。
 ほら、もうすぐそこに不愉快な顔が――
 嗤って――

「あはぁん」

 横薙ぎの爪は撫でるような優しさで。
 さながら幕が落ちるように。
 少年の世界は閉ざされた。


「ぎゃあああああああああああああああああああああっっ!!!」
 真一文字に切り裂かれた両目を押さえて、少年の体は地に落ちた。 
 傷を覆う手の平の隙間から熱いほどの鮮血が零れ落ちる。
 かつて味わった事のない種類の痛みに、少年は悶絶した。
「うふ。いいわぁやっぱり、子供の悲鳴って」
 ケラケラと嘲笑の雨が降る。
 温度のない悪意に打たれても、少年は一切の反応を返せなかった。
 痛い、ただ痛い。
 痛いとも感じられないほどの痛みに貫かれて体がバラバラになりそうだ。
 発狂寸前の激痛に苛まれながら自らの広げた血溜まりの中で喘ぐ少年に、柔らかくもおぞましい冷たさを宿した肉がのしかかった。
「ねぇ、次はぁ、どこを切って欲しい? 選ばせてあげるわよ?」
 鋭い爪を備えた指先が探るように少年の体を這う。
 愛撫にも似た指の軌跡を残すように、細い傷が肌を埋めていく。
 苦悶に満ちた声があがったのはその時だ。
「やめろ……やめろ、絢女……! おまえが殺したいのは……俺だろう! そいつは、関係ねぇ……はずだ……っ」
「もぅ、死に損ないの癖にしつこいったら。第一、誰なのよその女。せっかく愉しんでるんだからぁ、萎えさせないでくれない?」
 暗闇に閉ざされた世界の中で、少年は自分の足が掴まれるのを感じた。
 抵抗する、という選択肢を思い浮かべるよりも先に。
 ばちん、と。
 太いゴムを切断するような音とともに、灼熱が足首に生まれた。
「ぎっ、いぃぃっ、ぁぁぁああああああああっ!!」
「アキレス腱を切っちゃったからぁ、坊やはもう逃げられなくなっちゃったわねぇ。うふふ、だ・か・ら、坊やは後回しぃ」
 放り出された脚が地面に打ち付けられ、その激痛に再び絶叫する少年を尻目に気配が離れていく。もし彼に周囲を把握するだけの冷静さが残っていれば、遠ざかる気配に合わせてズルリ、ズルリと何かが這いずるような音を聞き取っていただろう。
 いまだ少年は知らぬ事であったが、それはリリスと呼ばれる女性のゴーストだった。どこか粘質を持ったその音は、彼女の肌を這う無数の蛇が立てる音だったのだ。
 そして、嗜虐の快楽を求める女怪は、倒れ伏す男の前に立つ。
「……いいわぁ、どうせもう飽きてきたところだったしぃ。お楽しみの前にゴミを片付けちゃうわねぇ」
 どこか面倒そうでさえある言葉と共に見せ付けるようにリリスの腕が持ち上がる。その紫色の爪が振り下ろされれば、男の首は落ちるだろう。一見か細くも見える女の指先が容易く人間を切り裂く切れ味を宿している事は、既に男の満身に刻まれた傷痕からも明らかである。
 この次の一秒で、男は死ぬ。
 脳髄を焼き尽くすような痛みに悶えながら、閉ざされた世界の中で、それでも少年はその事実を理解した。
 ああ、けれど。
 けれど、それだけは。
「や、めて」
 ガタガタと震える腕を伸ばす。
 冷たい――けれど何よりも確かな感触が指先に触れて、少年はそれを力の限り握り締めた。
「やめて、よ」
 痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。
 筋肉一筋動かすだけで、体中が痛くてたまらない。
 それでも、握り締めた感触を引き寄せて、突き立てたそれに縋りつく。
「お願い、だから」
 あまりに痛くて死んでしまいそう。
 頭の中はグチャグチャで、何もかもが燃えている。
 だから、世界を埋める血色の夕焼けの向こう側へと切っ先を向ける。
「先生、を、殺さ、ないで、よぉ」
 赤色の涙を流しながら、少年は、剣を手に立ち上がった。
「あはっ、あはははは! なぁにぃ? 坊や、まさかそんな体で私を斬れると思ってるの! あははははははっ! 面白いわ、可愛いわ! うふ、ふふふっ、いいわよぉ。だったら、お姉さんが遊んでアゲル。この死に損ないの前で、坊やをバラバラに刻んであげるのも愉しそうだしねぇ」
 さも楽しげに嗤うリリス。
 けれど、それは全くの間違いだ。
 少年は、そもそも戦おうとさえ思ってはいなかった。
 きっと自分は殺される。敵うはずもない。そんな事は判った上で、少年は立っている。殺されるために立っているのだ。
 たとえ戦う事もできない身であろうと、剣を向けられれば対応せざるを得ない。それは殺し合いに生きる者の必定だ。だから、自分がこうやって立ち上がればアレは矛先をこちらに向ける。
 そうすれば。
 そうすれば、きっと。
 先生は、逃げられる。
 先生なら自分が殺されている間に助かってくれる。
 どうやって助かるのかなんて判らない。判らないけれど。
 それでも先生なら――先生なら絶対に上手くやる。
 だから、先生。
 死なないで。
 先生が生きていてくれるのなら、ぼくは死んでいてもいい。
 少年が考えていたのはそれだけだった。
 それ以外の事など、考えることさえできなかった。
 だって、それだけで良かったから。
 少年にとって、男はすべてだった。
 文字通りの世界の全て。
 だから。
 
「小僧、突け」

 その言葉が聞こえた時、少年の体は自分の意思とは無関係に動いた。
 時間が希釈される。一秒が限りなく切り刻まれる。
 痛みも、音も、全てが消えて失せる。
 何千何万と繰り返したその動作。
 少年が与えられた殺しの方法。
 最短距離を最速で駆け抜けた少年の牙は。
 過つ事無く標的の心臓を貫いた。


 沈黙は永遠に続くかのようで、一瞬のように短かった。
 気付けば全身の痛みが消えていた。
 いや、痛みはあったのだけれど、どれもかすり傷程度でしかない。
 あれだけ深く切り裂かれた目も、断ち切られた足首も、どういう訳なのか塞がりつつあるようだった。
 握り締めた刀が真っ黒に染まっている。
 影を塗りこめたようだ、と思った。
 確かに貫いたはずのアレの姿が無い。
 ただ、なんだか空気が銀色に輝いているように見えた。
 けれど、なぜだろう、とは思わない。
 だって、そんなのはどうだっていい。
 どうだっていい。
 どうだっていい。
 どうだっていいから。
 だから、誰か教えて欲しい。
 なんで。
 なんで。

「………なん、で?」

――なんで、この剣は、先生を、刺して、いるんだろう。

「あ、あ、うぁ………」
 ガタガタと手が震える。
 早く、早く抜かないと――そう思うのに、震えるばかりの体は言う事を聞いてくれず、指先一本も動いてくれない。
「ぁ、や……いや………ぅ」
 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
 嘘だ。判らない。おかしい。変だ。だから違う。
 だってこんなの、ありえない。
「ひぃ……や、やら………ぁ、あぁ、ぅ………」
 真っ赤だ。
 赤色だ。
 夕焼けの色が、色が。
 黒い剣を伝って、つるつると滑って、柄を握る指に触れる。
「ぁ………」
 それで、ようやく気付く。
 傷が癒えた理由を、理解できないままに認識する。
 自分の手までも染め上げるその闇を通して。
 僕が、先生を、食べているんだ。
「いぃぃぃぃ………っ、っ、あ……っ」
 途端に吐いた。
 張り付いたように剥がれない手に、体の中身を残さずぶちまけた。
 どれだけ吐いても、すぐに口いっぱいに広がった。
 それは、血の味をしていた。
「せ……、っせ、ぁ、せん、………ぃ」
 言葉が。
 世界が。
 意味をなくす。
 真っ白に沈む。真っ赤に染まる。真っ黒に落ちる。
 その果てで。

「――うるせぇよ、糞餓鬼」

 その声を聞いた。
「先、生」
「痛ぇ……っつぅの、早く抜け、この阿呆」
 苛立たしげな言葉に慌てて剣を引き抜く。
 さっきまで動かなかったのが嘘のように体は動き、切っ先が離れた途端、刀は床に転がった。
 先生の体が傾く。
 咄嗟にその体を受け止められたのは、きっと何かの奇跡だった。
 先生の体はやっぱり大きくて、自分なんかじゃ支えられない。
 それでも、先生が倒れてしまわないように力を込めた。
 倒れてしまったら、もう、二度と起き上がってくれない気がしたから。
「先生……、せんせ、すぐ、すぐ……て、手当て……手当てを………」
「あぁ………いらねぇよ。どうせ、無駄だ……」
 ぎゅう、と先生の服を掴む。
「せん、せぇ………」
 嘘だと言って欲しかった。
 いつもみたいに騙されてるんだと思いたかった。
 ほら、こうやって僕が困ってると「馬ぁ鹿、ひっかかってんじゃねぇよ」と笑って、頭を殴るんだ。そうに決まってる。
 それでもいい。
 それでもいいから、先生。
 お願いだから、嘘だと言ってよ。
「よぉ、小僧……俺は………死ぬぞ」
 なのに先生は、まるで当たり前みたいにそんな事を言った。
 息ができない。
 何も判らない。
 どうして。どうして。どうして?
 どうしてこうなったんだろう。なにが悪かったんだろう。
 わからない。嘘だ。わかってる。
――僕の、せいだ。
 僕のせいだ。
 僕が、先生を、殺したんだ。
「こら……糞餓鬼、てめぇ……泣いて、やがんな………?」
 先生が言う。
 けど、わからない。
 わからない。
 わからないんだ。
 僕は泣いてるの?
 わからないよ。教えてよ。もっともっと、教えて欲しい事があるんだ。
 だから。
 だから。

「泣くな……鳳凰堂・虎鉄は………笑ってろ」

 くしゃり、と。
 大きな手が、大好きな手が、僕を撫でた。
「え………?」
「だぁか、ら………名前だ、てめぇの………プレゼント、やるって、言っただろうが………いつ、までも……小僧じゃ、不便だろうが………」
「プレ、ゼント?」
「ハ……、まぁ、俺のお古だがな………どうせ、もうすぐいらなく、なるんだ………くれてやるよ……」
 先生は。
「あぁ、この際だ……全部持っていけ………俺の全部、てめぇにやるよ」
 虎鉄先生は。
「ハッピーバースディ・虎鉄………じゃあな」

 僕を抱きしめたまま、鳳凰堂・虎鉄は死んだ。


――それが僕の、初めての誕生日だった。



 The boy's birth and boy's twilight.end /



0 / after birth after


 世界が燃えている。
 黄昏は別れを惜しむように、空を染めようとする夜に抗おうとしているかのように、赤々と地上を照らし出す。
 それとも、この空の色は、血の色なのだろうか。
 夜に殺され、撒き散らされた昼の流血が、空を染めているのだろうか。
「目、痛い……」
 裂かれた傷が、じくりと疼く。太陽の光が痛い。
 こんな色は、大嫌いだ。
 早く夜になれば良い。早く早く、死んでしまえば良い。
「なんでだよ」
 東の方の空で、キラキラと星が輝いている。
 夕焼けの中を、サラサラと雲が流れている。
 遠く遠く、街の灯が見える。木々の間を吹き抜ける風が、優しげな音で歌っている。目を覚ました虫たちが密やかな夜想曲を奏でだす。家路を急ぐ鳥達が空を泳いでいく。
 世界の全てが、生きている。
「なんでだよ……」
 膝を突き、彼は空を見上げている。
 否、世界を、見上げている。
 遥か遠い世界を、見上げている。
「なんで………なんで………!」
 仰け反った喉から、迸る。
 それは声と言うにはあまりにも、暗い。

「なんで生きてるんだよ! なんでてめぇらが生きてるんだよ! なんで僕が生きてるんだよ! 死んだんだぞ! 先生が、先生が死んだんだぞ! なのになんでっ、なんで生きてるんだよ! 死ねよ! 死ね! 死んじまえよ畜生!! おかしいじゃないかよ!! おかしいよ畜生! 畜生! 畜生! 畜生!!」

――それは、血色の憎悪だった。

 そうして彼は世界を呪う。
 声の限りに叫び、血が滲むほどに拳を握り、全存在をかけて罵倒する。
 或いは、それは産声のように。
 彼は叫び続ける。
 いつの間にか、彼の手には刀が握られていた。
 黒塗りの刀身を持つ、彼の手には不釣合いなサイズの刀だ。
 それを握っている事に初めて気が付いたかのように、彼は手の中の刀に目を落とした。黒い刀身。命を奪う道具。命を奪った、道具だ。
「…………」
 のろのろと、持ち上がった手が刀身に添えられる。
 切っ先が向けられたのは彼自身の喉笛。
 これで、あとほんの少し力を込めれば、自分は死ぬ。
 それは――なんて幸せな未来だろう。

「けど」

 僕が死んだら、鳳凰堂・虎鉄はいなくなってしまう。
 先生が、いなくなってしまう。

「そんなのは」

――許されない。

 許されるはずが無い。許されていいはずが無い。
 何よりも。
 それだけが、僕の願いだったじゃないか。
 先生が生きていてくれるのなら、ぼくは死んでいてもいい
 だったら、いらない。
 僕なんて要らない。
 僕なんて死ねばいい。

 鳳凰堂・虎鉄がいれば、それでいい。

 彼は立ち上がった。
 壊れた人形のようにぎこちない動作で、倒れ伏す男に歩み寄る。
 髪留めを解いて、自分の髪を縛った。
 ピアスを外して、自分の耳に刺した。
 コートを脱がして、自分の体に羽織った。
 鞘を拾い上げて、刀を収めた。
「鳳凰堂・虎鉄」
 名前を呼んだ。
 名前を呼んだのに、誰も答えてくれなかった。
 その事実にだけは、耐えられなかった。
 全身が鉛のように重かった。
 このまま沈んでしまいそうだった。
 沈んでしまいたかった………けれど。
「鳳凰堂・虎鉄は、笑って、いろ」
 思い出す。
 先生の教えてくれたこと。
 そうだ、笑っていなければいけないんだ。
 けど、おかしいな。
 笑うって、どうやるんだっけ?
 笑えない。どうやっても笑えない。笑顔というものが思い出せない。
 けど、それは困る。
 鳳凰堂・虎鉄は笑ってないといけないんだから。
「あ………」
 そうだ。そういえば、アレも笑っていた。
 凄く愉しそうに笑っていた。
 あれは、多分、笑顔だろう。
 思い出して、真似てみた。
「うふ……うふふ、うふふふふ……うふ」
 ああ、笑えた。
 良かった。
 これで、先生の言いつけを守れる。
「私はぁ……鳳凰堂・虎鉄ですぅ」
 言葉にした途端、あまりのおぞましさに心臓を抉り出したくなった。
 気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
 なのに。
「うふ、ふふふ……あは、あはっ、あはははははははははっっ!!!」
 笑える。
 笑う事ができる。
 笑っているから……たぶん、私は鳳凰堂・虎鉄なんだろう。
 そうだ、泣いちゃいけないんだ。
 先生が言ってたじゃないか。
 泣くな、って。
 笑っていろ、って。
 だから笑おう。
 笑って、笑って、鳳凰堂・虎鉄として生きていこう。
 けれど。
「あれ?」

――そもそも、泣くってどうやるんだっけ?

 思い出そうとしたけれど、どうしても思い出せなかった。
 だからきっと、それは要らない事なんだろう。
 そう思った。
 そうして彼は歩き出す。
 丈の合わないコートを引きずって。
 まだ血を滴らせるピアスもそのままに。
 適当に纏めた髪を揺らしながら。
 片手に人殺しの牙を提げて。
 夕焼け空の下を、歩いていく。
 
 壊れた笑顔で笑いながら、歩いていく。

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祝・過去語り終幕!

今回は今までで一番長かったんでしょうか…。
まぁソレはとにかく、過去語りお疲れ様でしたー!
先代鳳凰堂・虎鉄の全てを継いだ少年のプロローグは見応えがあってとてもよかった!

そこいらの大量生産型のMSさんのリプレイ見るより何倍も楽しかったよ!w
今後も色々なストーリーを頑張って作ってくだされ!w
プロフィール

神無月

Author:神無月
神無月(かんなづき)と申します。

主に株式会社トミーウォーカーのPBW『TW2:シルバーレイン』用のブログとしてなんか色々とまったりペースで徒然事が書かれています。
いぇー。

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