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虎鉄語:幕間、そして二度目と初めての終わり


 春が過ぎ、夏が去り、秋は瞬き、また冬が訪れる。
 それはあまりにも短すぎた蜜月。
 少年が再び生まれ落ちるまでの物語――その、幕間。


――彼女が死んでから、もうすぐで一年になる。

 冷たい水で顔を洗っていると、不意に、そんな思いが胸をよぎった。
 その途端、胸の中のどこか深いところに大きな重石が落ちてきたような気がして、息が苦しくなった男は顔を上げた。
 まだ水が滴るままの顔を上げると、すぐ目の前には洗面台に据えられた古い鏡があった。
 随分と長い間そこにあったのだろう、その鏡は劣化によって曇り、歪んでいた。
 けれど、そこに映る自分の表情が歪んで見えるのは、鏡のせいばかりではないのだろう。
 彼女が――男の妻が息を引き取ってから、もうすぐで一年が経とうとしていた。
 洗面所の窓ガラス越しに見える小さな村は、退屈な白一色に塗りつぶされている。
 家の中にいるというのに男の吐く息は白く染まり、曇った鏡をさらに白く曇らせる。
 蛇口から流れる水の冷たさは、浸した手の皮膚を針のように突き刺した。
 冬が訪れたのだ。
 彼女の死んだ、冬が。
 曇った鏡を覗き込んで、男は一つ溜め息をついた。
 彼女を失ってからというもの、溜め息をつくことが増えた。
 そういえば、幸せは溜め息に乗って逃げていくという話をどこかで聞いた事があった。
 それは違う、と男は思う。
 逆だ。
 本当に幸せな人間は溜め息などつきはしない。
 溜め息は体の中の、幸せが詰まっていた隙間から吹き出してくるものだ。
 だから、幸せを逃がしてしまった人間は溜め息をつく。
 窓から差し込む朝の日の中で、男はまた一つ溜め息を零した。
「おはようございます」
 その背中に、柔らかな声がかけられた。
 そちらを見れば、洗面所に続く廊下に、一人の女性が微笑んでいた。
「あぁ、おはようございます観雪さん」
「挨拶の前に顔くらいお拭きなさいな」
 悪戯に笑って女――観雪は白いタオルを差し出す。
 そういえばまだ顔を濡らしたままだったことに思い当たって、男は慌ててタオルを受け取った。
 水気を拭った顔を上げると、観雪がくすくすと楽しげに笑っていた。
「まったく、まだまだ子供なんだから」
「子供だなんて……三十路過ぎの男には似合わないですよ」
 苦笑気味に答えるが、その言葉はどこか弱い。
 そんな男の物言いに観雪はますます笑みを深くした。 
「あら、まだまだ十分若いわよ。なにせこんな朝っぱらから自分の顔に見惚れてるんですものね」
 にんまり、と童話に出てくる人を煙にまく猫のように笑う。
 男はばつの悪そうな顔で、見てたんですか、と頭をかいた。 
 本当は見惚れていたわけではないのだが、わざわざ説明することもないだろう。  
 男の内心を知ってか知らずか、観雪はにんまり笑いを浮かべたまま冗談めかして続ける。
「見てたわよ。溜め息なんてついちゃって、外にいい人でもできたかしら?」
「できませんよ、残念ながらね」 
 こちらも冗談めかした口調で答える。
 そんな自分自身に、男は小さな驚きを覚えた。
「一年、か………」
 自分にしか聞こえない程度の言葉を、溜め息に乗せる。
 それは彼女を失ってからの月日。
 考えてみれば、長いようで短かった。
 そう思えるのはきっと、自分が一人ではなかったからだ。
「もう朝ごはんの準備もできちゃうわよ、早くおいでなさいな」
 男に背中を向けながら最後にもう一度笑って、観雪は廊下を歩いていく。 
 朝の清廉な光の中を歩いていく足取りは、本当に猫であるかのように軽やかだ。
 その後姿を見送って、男はもう一度溜め息をついた。
 
 居間につくと、もう朝餉の準備はできていた。
 朝食の並べられた食卓につく前に、男は隣の部屋に足を向ける。
 襖一枚で隔てられた畳敷きの部屋には、小さな布団が二つ敷かれていた。
 その小さな布団の中で、小さな、小さな命が生きていた。
 温かい布団に包まれて赤ん坊が二人、すやすやと穏やかな寝息をたてている。
 男はその傍らに屈み、慈しみに満ちた目でその顔を覗き込んだ。
 思えば、彼女を失ってから自分が今まで生きてこれたのは、きっとこの子達がいたからなのだろう。
 一年前、彼女を失ってから間もない頃の自分は、ただ悲嘆にくれるばかりだった。軽口どころか他人と会話をする気力さえ失くしていた。生きている事すら億劫で、いっそ彼女の後を追おうかと思ったことが何度あったかすら知れない。
 けれどそうしなかったのは、彼女との約束があったからだ。

――私の、最後のわがままだから。    
 
 彼女との約束を守る。
 それが、男をかろうじて生かしていた。
 そしてもう一つ。
 男は無防備に眠る赤ん坊の片方、髪の黒い幼子の頬を愛しげに撫でた。
 この子と、観雪がいてくれたからだ。
 彼女との約束は、男の体を生かした。
 死ぬわけにはいかないという鎖で、彼をこの世界に縛り付ける事はできた。 
 だが、彼の心までは生かすことはできなかったのだ。
 死んだように日々を送っていた男に再び命を吹き込んでくれたのは、この二人だった。
 今でも覚えている。
 彼女の葬儀が終わって、ちょうど一週間がたった日の事だった。
 生後数ヶ月程度の小さな赤ん坊を抱いた観雪が、男の元を訪れたのは。
 観雪は男を責めなかった。
 彼女を……自分の実の妹を死なせてしまった男を責めることもなく、
 彼女の遺影を真っ直ぐに見つめて、ただ静かに、泣いたのだ。
 ああ――あなたは幸せだったのね、と。
 その言葉にいったいどれほど救われただろう、表す言葉を男は知らない。
 ただ一つ言える事は、この時、男の心は息を吹き返したのだ。
 その後観雪は、自分と我が子をこの家に置いて欲しいと男に願った。
 男の身の回りの世話と、彼女と男の間に生まれた子の乳母となる事を条件に。
 何故そのような事を願うのか。観雪の子の父親はどうしたのか。
 そんな疑問はあった。
 それでも、 男は二つ返事でそれを受け入れた。
 一人で家事と仕事を両立する事は難しい。
 まして男の子にはまだまだ誰かの庇護が必要だった。
 男にとって観雪の申し出は渡りに船だった、確かにそれもある。
 けれどそれ以上に、男には、自分を支えてくれる「誰か」が必要だった。 
 正直に言おう――男はただ、どうしようもなく、寂しかったのだ。
 そうして、気付けば一年近くが過ぎていた。
 自分はまだこうして生きている。
 冗談を言い合うような事もできている。
 彼女のことを思うといまだに胸が張り裂けそうになるが、後を追おうとは思わなくなった。
 心の傷は、いまだ癒えない。
 きっと、この傷が消えてしまう事などないのだろう。
 けれど、それでいい、と男は思う。 
 この傷は、消してしまってはいけないものだ。
 どんなに辛くとも……この痛みこそ、彼女が生きた証なのだから。
 自分でも気付かぬうちに目を閉じていたらしい。
 男は目を開けると、苦笑と共にもう一人の赤ん坊へと手を伸ばした。
 ふっくらとした我が子の頬に触れようとしていた男の指が、
 そこで、止まった。
 彼女と同じ、色素の薄い、涅色の髪の幼子。 
 この世のあらゆる汚れと無縁な、か弱い命が、そこにある。
「あ………ぁ―――」
 男の指は、震えていた。
 何かを堪えるように。何かに耐えるように。
 そのまま数秒、男の手は宙を彷徨い、
「あら? どうかしました?」
 結局、愛し子の頬に触れる事は無かった。
 男の背に柔らかな声がかかる。
 食卓の向こうで、観雪が不思議そうな顔をしていた。
 男は何気ない風を装って振り向き、意識して笑顔を作って答える。
「どうもしませんよ。さ、ご飯にしましょう」
 襖が、静かに閉められた。
 
 思えばそれは、男にとって二度目の幸せだった。
 傷はいまだ痛んだが、いずれは時間がそれを癒しただろう。
――その日さえ、こなければ。


prologue2 / birth _ the bottom of the dark.


 それに最初に気付いたのは、男だった。
 その日は珍しく仕事も休みで、朝から家で過ごしていた。
 昼も過ぎた頃、たまには雪絵の手伝いでもしてやろう、と庭で洗濯物の取り入れをしていた男は、どこからか聞こえてくる犬の鳴き声に気付いた。
 どうやらその犬はかなり興奮しているらしい。
 連続する吠え声はどこか空恐ろしいものを感じさせた。
 そういえば近頃、この辺りで野犬がでたという噂があった。
 もう鶏が数匹食い殺されている、とも言っていた気がする。
 まさか家の中にまで入っては来ないだろうが、戸締りは大丈夫だっただろうか。
 そう考えたところで、男はようやくその違和感に気がついた。 
 犬の鳴き声は、ひどく近い。
 そう、それこそ、この家のどこかから聞こえてきているかのように。
 まさか……そう思った。
 思った時には、もう体が動いていた。
 動き出せば違和感は疑念に、疑念は確信に変わり、確信は焦燥を呼んだ。
 もう間違いなかった。
 この犬は、家の中にいる!
 家の中に飛び込む。 
 靴を履いたままだった。知った事ではなかった。
 男は走った。
 鳴き声のする方へと、焦燥の導くままに走った。
 今、家の中には男と二人の赤ん坊しかいない。
 もしも、もしもあの子達に何かあれば―――
 犬の声が近い。
 鳴き声は最早狂騒に近い。
 男の呟きは、姿も見えぬ誰かへの懇願に近い。
 どうか、お願いだから――
「私からこれ以上っ……大切な、ものを、奪わないでくれ………っ」
 男の耳に、何よりも聞きたくないものが聞こえた。
 吠え猛る犬の声に混ざって聞こえるそれは。
「やめ、ろ……っ」
 ああ――赤ん坊の、泣き声だ。
 遮るものは襖一枚。
 犬の声と赤ん坊の声は、どちらもその向こうから聞こえてくる。
 咆哮が一際大きく響く。
 視界が赤く染まる。
 もう何も考えられない。
 襖を開けるような余裕はない。
 体ごとそこにぶつかって、
「やめてくれーーーーーーっ!!!」
 そして男は、それを、見てしまった。

「………………………あ?」

 野犬は、確かにそこにいた。
 元の色が判らぬほどに汚れた毛。
       アレハ
 子供ほどの大きさの、醜く痩せ細った体。
 大きく開かれた口から覗く、黄色く濁った牙。
                                         アレハ
 理性の欠片も見つける事はできない、血走り見開かれた目。
 そして、その腹腔を貫き、脊椎を串刺し、宙に縫いつける、   
アレハ    
 黒い、剣。
ナンダ?

 まるで早贄。
 野犬は空中で、必死にバタバタともがいている。
 しかし、その黒い剣は微塵も揺るがない。
 それどころか、体を串刺しにされた激痛に凄まじい鳴き声をあげるその口を。
 新たに伸びた一本が貫通した。
 無理やりに閉ざされた口腔から、ごぼり、と血泡が溢れる。
 それでも、まだ野犬は生きていた。
 二箇所で串刺しにされた野犬の体が痙攣する。
 それは死に瀕した肉の、ただの反射だったのか。
 或いは、まだ生きているという生命の叫びだったのか。
 どちらにせよ意味は無い。
 次の瞬間、無数に伸びた黒い剣に全身を貫かれ、野犬は絶命した。
 男は呆然とそれを見る。
 見ているしかできなかった。
 男の常識を遥かに超えた光景に、脳が思考を停止していた。
 理解するな、と。
 これは理解してはいけないものだ、と。
 野犬は最早痙攣すらやめていた。当然だ。
 全身を余す所なく串刺されれば身動きをとる余地などありはしないだろう。
 男の視線がゆるゆると下がる。 
 無数に生える黒い剣。
 その中心に。
「あ………」
 男は、あまり驚かなかった。
 或いは、どこかで予想していたのかもしれない。
 否。
 ずっと、そんなことがあるのではないか、と思っていたのだ。
 ずっとずっと、彼女が、死んでしまったときから。
 彼女が死んでしまう、その前から。
――ヒョットシテ
 抱いていた、気付かないようにしていた考え。
 気付いてはいけないと堪え、考えてはならないと耐えていた一つの思考。
「ああ、あ………………」
 揺れる。視界が揺れる。
 世界が揺れているようだ。根底が崩れていくようだ。
――彼女ハ
 崩れ落ちていく世界の果てで、
 涅色の髪の幼子が、あどけなく、無邪気そのものに、
 笑っていた。 
「あああああ、ああ、あああ………」
 
――コノ子ノセイデ、死ンダノデハナイダロウカ

「あああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!」


 
   
……結局、男にソレを殺す事はできなかった。
 だからと言ってソレを許す事もできなかった男は、ソレを見ない事にした。
 もしもソレが死んでしまったとしても、男は関知しない。
 もしもソレが生きて延びたとしても、男は関知しない。
 ようするに男は、ソレの存在を完全に忘れ去る事にしたのだ。
 そんな男にとって、敷地の隅に建つ蔵の地下、遠い昔に使われていたという座敷牢はソレを閉じ込めておくには実に都合が良かった。
 そしてソレは、寒い、誰も足を踏み入れない闇の底へと閉じ込められた。
 その存在は、他ならぬ父親の手によって、日のあたる世界から廃棄された。
 それは男にとって、二度目の幸せの終わり。
 そして幼子にとって、初めての――死だった。


 そして、時は流れ………
 誰もいない冷たい闇の底で――――少年は、生まれた。


birth _ the bottom of the dark. end / birth  ̄ over the silver moon

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毎度ながら

クソ長いです。
ここまで読んで下さった方、本当にお疲れ様でした。
そして、ありがとうございます。
やはり小説形式にすると長くなってしまいますね……これでも抑えてるのですが。
とにかく、これで第二話――ここらで趣旨を明らかにしておきましょう。
これは少年の誕生と死の物語。
そして、鳳凰堂・虎鉄の誕生の物語です。
残すところも二話ですが、よろしければお付き合い下さい。

意外に凄ぇ過去でとても真剣に読んでしまった・・・。
・・・冗談でなく、途中からブログ内の記事だということを忘れていたくらいだ。
素晴らしい文章力に称賛の意を示しつつ、そんな虎鉄が素晴らしいのでリンクさせていただきたいのだが・・・よろしいだろうか?
あと二話との事だが、それも楽しみにしているぞ。

虎鉄さんの過去が分かってきました・・・。
すごいですね・・・。
何度も読んでしまいました・・・。
次回も楽しみにしています・・・。

異端な俺たち

能力があるから誰かを救うことが出来る。
だけど、能力が俺たちや身の周りの誰かを傷つける事もあるんだよな。

今は制御できるようになったこの力だけど、
普通の人間から見ればやはり異端なのだろうな…。

今回も良いモノを読ませて貰ったよ

なに、少々長いとしてもそれは読み応えが出るだけで嬉しいくらいだよ(微笑)
次も楽しみにしているよ。

(しかし鳳凰堂クンたちにくらべると、
私は随分と気楽な過去を過ごしてきたんだね……なかなか複雑な心境だ)
プロフィール

神無月

Author:神無月
神無月(かんなづき)と申します。

主に株式会社トミーウォーカーのPBW『TW2:シルバーレイン』用のブログとしてなんか色々とまったりペースで徒然事が書かれています。
いぇー。

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